2009年04月05日
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大正~昭和初期・鉄道、水道、電力の3ジャンルが和田堀周辺に集まる「和田堀ラッシュ」の謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 大正~昭和初期に、鉄道、水道、電力の3ジャンルの重要な結節点が杉並区和田堀周辺に成立したという「和田堀ラッシュ」というアイデアについて述べます。

概要 §

 大正~昭和初期の時代に、新宿以東の東京西部において、鉄道、水道、電力で複数のラインが集まる重要な結節点を見いだすとすれば以下のようになります。

  • 鉄道: 未成線の山手急行を踏まえて考えれば明大前駅
  • 水道: 現在の泉水圧調整所から和田堀給水所のあたり
  • 電力: 和田堀変電所

 これらは、以下の特徴を共有します。

  • 複数の重要なラインが交差する/した/するはずであった点である
  • 大正~昭和初期の時代に成立しているが、それ以前の時代には気配もない
  • 極めて狭い特定範囲に集中している
  • そこから都心方向を指向するラインが全て新宿/淀橋に接続されている

 つまり、かなり狭い時代、かなり狭い地域に、なぜか全く異なるジャンルの結節点が集まっているという現象が見られます。これは1つの謎であるといえます。

 これを「和田堀ラッシュ」と仮に呼びます。

 以下、詳しく書きます。

鉄道 §

 明大前には、もちろん京王線が通っていましたが、現在の明大前の場所には駅がありませんでした。井の頭線開通時に京王線も駅の位置を移動させて現在位置に明大前駅が成立しています。つまり、それ以前には気配すらありません。

 そして、京王線は淀橋の近くを経由して新宿に至ります。

水道 §

 江戸時代の玉川上水では、和田堀は単なる通過点でしかありません。

 明治時代の玉川上水新水路建設時にはここで水路の分岐が発生しますが、この時点では単なる分岐に過ぎません。

 和田堀に沈砂池ができるのは玉川上水新々水路(甲州街道下の鋼管)建設時です。境和田堀線や和田堀給水所などもこの頃に前後して作られていき、このあたりが重要な結節点として特別な場所になります。

 玉川上水新水路/新々水路は淀橋浄水場に至ります。

電力 §

 和田堀変電所があり、ここに東京を円上に囲う66kV内輪線が通過している他、千歳からの154kVのラインが来ており、内周方向には淀橋変電所に至る淀橋線が延びていました。

 余談ですが、実は淀橋変電所のすぐ脇を、神田上水助水が流れています。相互に強い地理的関連性を持っているのは驚くばかり。

否定された解釈 §

 都心と東京西部のはずれの同じ場所を結ぶ「幹線」を作るなら、同じような場所に中間結節点ができるのは自然である、という解釈があり得ます。しかし、京王線が目指すのは八王子、玉川上水が目指すには羽村であり、場所がまるで違います。つまり、都心側のゴールは同じと想定できても、出発点は同じではありません。

 また、消費地が同じということも理由になりません。それは全てのゴールが新宿/淀橋である説明にはなりますが、中間中継点が和田堀に集まる理由にはなりません。

考察 §

 鉄道、水道、電力には相互に関連があります。

  • 初期の電鉄の多くは「電力事業+鉄道事業」の会社であり、鉄道網の一部は送電網でもあった
  • 電気鉄道は電力の重要な消費者である
  • 電動ポンプを多用する水道拠点施設は電力の重要な消費者である
  • 送電網を建設する際、空中の使用権の問題から河川水路を活用する事例が多い

 しかし、これだけでは「かなり狭い時代、かなり狭い地域に、全く異なるジャンルの結節点が集まる」状況を説明するには不十分という感じがあります。

 従って、ここでは問題提起のみを行って結論はありません。

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